入江 水聲(いりえ すいせい)
大正11年 広島県福山市加茂町生まれ
昭和25年 篆刻修行のため松丸東魚先生に師事
全日本篆刻連盟理事、毎日書道展審査会員、毎日書道展参与、創玄書道会審査会員、日展会友、知丈印社同人、石窓印社主幹、中国新聞文化センター講師
【毎日書道展】
昭和26年 初入選。以後、入選入賞多数
昭和46年 会員賞
昭和61年 毎日書道展中国展実行委員長
【日展】
昭和29年 旧日展初入選。以後13回入選
【個展】
昭和39年 第一回個人展開催。以後、広島・福山にて5回開催
昭和63年 篆刻四十年展東京展を銀座にて開催
平成2年 篆刻四十年広島展を金座街丸善にて開催
【出講】
昭和50年より広島大学書道部にて篆刻指導。この頃より広島大学教育学部、高校等、要請を受けて出講
昭和57年より中国新聞文化センター講師
平成13年より4年間、安田女子大学非常勤講師(篆刻指導)
平成29年12月17日、95歳で没
鐵斎翁は、篆刻とは学問であり、書や絵を描いても、自分は学者であると、常に自負されていたようである。
日本にあっては江戸中期より、文人はもちろん神職、僧職、士農工商を問わず篆刻をこよなく愛した人物はかぎりなく、文人趣味の最高であることには変わりはない。
近年、各地の文化講座もは必ずといってよいほど篆刻の一頁が加わり、非常に喜ばしいことである。私も篆刻の道に入って六十三年にもなろうか。『篆刻をする剣士』という書き下ろしの小説の中で、「興趣至れば行住坐臥篆ならざるはなし」と作家南條範夫さんが喝破した人物こそは、剣禅一致を極めた宮本武蔵である(文字や造形の木彫りが多かった)。哲理に憩い、聖賢の名句を刻むことは、すなわち言葉を聞き、句を味わい、心を刻むことである。
否応なしに機械文明に押しまくられる企業人に、今ほど心のゆとりを要求されるときはない。相手を必要としないで、ひとり禅林に遊び、四季の佳句に浸り、聖人の句に対するとき、漢字の持つ表意性は掌上の小さな小さな芸術に凝集される。
このように文字に遊ぶ篆刻は、心あるもの、だれしも手がけられる最高の芸である。方寸の厳しい篆刻の基礎を土台にして木彫りによる壁面芸術への拡大発展は正に時代の要求でもあろう。幸い中国新聞文化センターでは、フアンの望みにそい昭和五十七年篆刻・刻字の講座が加えられた。冷たい石に、活きた木に文字を刻み、心を刻む。要はその精神であり、それが篆刻である。
水聲の作品の一部を紹介します。